2008年07月02日

地への感覚

※ちょっと生真面目な文章です。

昨晩、common cafeで友人と久しぶりに会った。

いろいろな話をしていくうちに、
畑や小麦の話になり、
料理することや、食べること、
そしてその元となっている土地の事へと意識が移る。

作物は、
大地と切り離されパッケージされた商品となったとたん、
太陽の光や雨、
そしてどれだけの大地、手が関わってきたかが見えにくくなる。

目の前にある、約400gのパン。
このとき、navetさんの美味しそうなカンパーニュがある。

この400gのパンには、約半分・200gの小麦が入っている。
一つの茎・穂についている小麦種子の量は約1g。
小麦種子1粒は、成長途中に4,5本の茎に分かれて成長するため、
1粒からなる茎の束・1株は約5g位の量の収穫となる。
ということは、200gとは、小麦40株分くらいということになる。
1株が必要とする土地は直径10〜15cm位なので、これが40程居るということは、
大きなダイニングテーブル分くらいの土地が必要。

ひとつのパンを得るのに、こんなにも土地が必要。
これが、一つ数百円という世の中。
しかも、もれは小麦種子全部を使う全粒粉の場合で、
殻のふすまを除いた白い小麦粉の場合は、もっとロスが出る。

小麦を初めて育てたとき、
土地に対する、小麦収穫量のあまりの少なさに愕然とした。

とてもじゃないけど、普通にパンを作る量を賄いきれない。
そのときから、
アメリカやカナダ、オーストラリアのような、
広大でかつ工業的な栽培方法をとらないと、
今の小麦粉の価格は維持できないんだと痛感した。
国内の農家が、小麦を作らなくなった理由も見えた。

業務用の国産はるゆたか25キロ袋も、
普通に使っている。
それが、約1ヶ月で無くなる。
昨晩話した友人の働くパン屋では、25キロ袋を1日に何袋も使うという。
この一袋は、いったいどれだけの広大な土地を必要としているのだろう...

日々、食べるということ。
料理すること。
ご飯を食べ残すということ。
安いものを買い求めるということ。

実践し、見えていくものから汲み取っていくしかない。


最近は偽装が問題になっているが、
生産の場と人々があまりにかけ離れてしまった現実の功罪が大きいのではと思う。
「○○産」とされることで、元々の産地の方々や土地がないがしろにされ、
プライドは踏みにじられる。
外国産だって、それを育てている国の方々、その土地がある。
これは安心・安全とかいうよりも、人権問題に近い。


もうすぐ、大豆をいくつかの場所で蒔く。

どれだけの収穫があるのか。
次の年の種分を除いて、頂ける量はどれだけか。
そこから作れるお味噌や醤油は、どれだけになるのか。

天候-土地-作物-自分...

ぐるぐる全てが流れ、繋がる感覚を、
言葉でなく意識として、
大豆レボリューションでは捉えていけたらと思う。





posted by キンモクセイ at 18:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々の便り
この記事へのコメント
わたしの焼く、ひとつのパンにそれだけの手がかかった小麦が使われているということ、全然かんがえていませんでした。
もちろん、焼いたパンは売れ残ったものも含めて、ひとつとして無駄にはしていないし、買ってくださったみんなも美味しく食べていただいていると思う。

けれど、このことを知っていると知らないとでは全然違うね。
ありがたく捏ねて焼きます。
そして噛み締めていただきます。
合掌
Posted by navet at 2008年07月03日 20:55
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/16572878
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック